砂塵の中で

 5月15日金曜日。この日は学校行事の体育祭のために、目黒区にある駒沢オリンピック公園に行くことになっていた。朝のほんのりとした期待。今日という時間に希望を持ちながら、房野駅のホームへと向かう。いつもと変わりない風景の連続である。
 中央線、山手線の乗り換えの末、ようやく渋谷駅に到着した。相も変わらず人込みの山。体臭と湿気が夥しい。
 私は定刻通り、地下鉄・新玉川線のホームへ足を運んだ。ここは学生で一杯だ。乗り込んだ電車の中は、山手線の雰囲気とは違っていた。健康的で陽気な朝のイメージを感じさせ、若者の蒼白なエネルギーが漲っていた。しかし僕の心の中は既に不安のみとなった。心臓が裏返るほどうねり、気分が悪くなった。

 僕の「希望」の行方は?
 そう悩んでいるとしても、奥では不安を通り越して絶望の域に達す寸前だった。
 そうしているうちに、僕は目的地の駒沢大学前を通過してしまい、面倒なことに元来た道を戻る羽目になった。腕時計は9時を指していた。定刻より20分遅れて地下鉄の駅を離れ、地図に書いてあるとおり、駒沢までの道を歩いた。
 9時15分頃、ようやく公園にたどりつき、球技場のスタンド席に座った。

 何とも言えぬ心持ちとなった。鮮やかな青い空。雨が降るという予報とは裏腹に、太陽が僕の首筋に強烈な熱線を突き刺してきた。たくさんの生徒が体育祭の準備で汗を掻いている。僕とはどこか相対しているようで、僕にはその準備の姿が心苦しかった。心底辛かった。
 僕の第二の行動。それは精魂込めた行動だった。反対側の客席となっている芝生地帯に目を遣り、そこにあるはずの〈一つの存在〉を確認したかった。この行動こそ、僕の人生を物語っているようだが、それは他人にはわからないくらいの微弱な精神的衝動であった。
 その第二の行動の成果は、数分以降何も発展しなかった。つまり、目を移動させ一つの存在の確認に期待を寄せているその心が保たれている時間と、期待を裏切られ、存在が確認できなく絶望感へと推移する数分間。その繰り返しがしっかり秩序を持って巡回するのだった。
 いくら探しても存在は確認できなかった。開会式が始まる頃、グラウンドに出て、また目を方々移動させたが、虚しく目の体操だけで終わった。
 体育祭のパンフレットをもらった。
 だがそこにも存在していなかった。まるで自分の存在を消されたようなショックだった。僕の楽観視は不安の裏返しでしかなく、全てが死滅していた。あるはずの存在の死と僕の心の死と…。心の中は不安などという簡素な感情を通り越していた。これまでの広漠な感情を虚無化させ、明朗な脳細胞の動きなど、この世のものではなくなっていた。

 昼すぎに、ある場所の某宝石会社を訪問した。そこで父と縁のある人と出会い、名刺をもらった。遠藤(仮名)と書いてあった。昔どこかで聞いたことのある名字だった。そんなものの存在こそ、極論すれば、僕には不必要なのに、求めている希望の存在はどこにもなかった。
 なんという愚かな世界だろう。誰が僕を拒んでいるのか。気持ちは落ち込むばかりだった。
 私の心の死と身体の死の瞬間は、体育祭の解散後訪れた。そこには、僕の方に鈍い暗黒の光を放ち、他方には夥しい量の光を放っていた。少なくとも僕にはそう見えた。やがてその存在は遠くに消えていった。
 僕は追い掛けたいと思った。だが諦めた。僕の所に二度と光を放たないことを感じたからだ。こうして全てが死滅した。全てが腐り、細胞がどろどろに溶けた。表情が凝固していった。

〈了〉
(1992.05)