高三日記より「友情」

 これは高校3年時に書き始めた「日記」の断片を主題に沿って抽出したものである。ちなみに「日記」は1990年6月3日から万年筆によって書き始めているが、本の冒頭では2篇の自作詩を書き添えている。誤字脱字や括弧の付加以外の文章は当時のままである。

1990年9月19日(水)

 今日、夏休み中に書いた『友情』の感想文を返されて、びっくりしてしまいました。他の人は低くても“B”なのに、私の文は“ランクC”ですよ! 結局やり直ししなくてはいけませんね。こういうことが起きてしまうと今まで書いてきた自伝も意味がありません。主人公に対してかわいそうだったと終わるような作文でも“Bランク”を取っているのに…。くやしいというよりも、馬鹿馬鹿しい気がしてきました。
 こうして下馬評が下落すると後がないように思うのです。
(途中略)
 そこらの本の解説を書き写しているような人が“A”をもらっていたら、この先私たちはどうしたらいいのでしょう。ようするに感想文は私にすれば小学生並みのレベルで書いていれば少なくとも“B”はとれたということですね。
 ですから私は感想文なんか、2度と書きません。自分の思っていることが評価されないのであればわざわざ書いても点はもらえませんからね。(途中略)
 でもやっぱり私は悲しい…。神にいのります。

※『友情』…武者小路実篤『友情』(新潮文庫)

1990年9月28日(金)

 私の作文が“C”から“A°” になったのです。これは何でもないこと。そうです。当然のことなのです。そもそも“C”だったのがおかしかったのです。
 この作文の中で私は最後にこう書きました。友情というものは言葉で表すものは何もない。つまり体しかそれは知らない。解答は自分で出すしかない。目に見えるものは嘘しかないと。
 この文章には少々自信があります。答えがあるようで、何もないもの、それが情であり、心であり、愛であるのだと私は思います。そしてそれはかなりの時間がいるでしょう。これらのものは自分に与えてもらうなどと考えてはいけません。ひたすら、自分の体をはって、貫くもの、与えてやるものなのです。

〈了〉
(2010.10.19)