『提督の決断Ⅱ』での戦争史観

 私が歴史に“はまった”のは、何が起因したからなのだろう。日本を国籍とする我々は、日本という国に深く依存しながらも、祖国としての日本を意識混在させながら日常を生活しているわけではない。それこそ日本人だといえるかもしれないが、世界的な視野に立って、「我々が日本人である」という特徴や文化を諸外国に指し広げるためには、その認識を得るまでに少々複雑な作業が必要とも思える。
「異様な国…ニッポン」
 大抵そんな言葉が外国人から返ってくる。要するに、“よく分からない”民族であって、その“よく分からない”ということが日本を北方の遙か遠い国にしてしまっているのだろう。

 司馬遼太郎の歴史小説を読み始めてかなり時間が経つ。いくつかの彼の作品を熟読していくうちに、完璧に司馬遼太郎にのめり込んでしまったようである。結果、私の中にあった凡庸な歴史に対する考え方を一新させ、彼の小説を読むことで、歴史に関わらずあらゆる分野を見る「視点の置き方」を学習することができた。
 歴史の中の戦争に限定すれば、明治維新後の日本が日露戦争を体験し、何を血迷ったか発狂的な一大暴走を起こして国体をねじ曲げ、そこから未曾有の悲劇をばらまいていった太平洋戦争というものが見え、以前からの太平洋戦争に対する私の興味関心は、司馬流の視点感覚に鍛えられて、ある意味において自身の実存すら危うく消えさせてしまうほどの身近な関心事となって顕れた。

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 さらに鳥巣建之助氏の『太平洋戦争終戦の研究』を読み終えた私は、この太平洋戦争を自身の机上でシミュレートしてみたくなった。ゲーム『提督の決断Ⅱ』はその要望に真っ向から応えてくれた。太平洋戦争における日本帝国陸海軍と、アメリカ陸海軍の全行動作戦を文字通り完全シミュレートできる最高傑作なのだが、実際にやってみてその凄まじいほどのディテールに圧倒された。一つ一つにリアリティを持たせるため、登場する名称・データはすべて実在と同じものであり、一切のデータを目の前に広げたうえで、プレイヤーは作戦部長としての責務を任せられ、その実行の経過は克明な戦果、戦歴となって蓄積されていく。
 当然、歴史はプレイヤーの作戦立案の影響を受けて実際とは違ったものになる。ほんの些細なミスで大量の戦死者を出すことにもなる。ところで私は逆にアメリカの立場になったプレイしてみた。その結果、かなり遅れて日本からの宣戦布告があった。(真珠湾の奇襲攻撃はなかった。)また外交の成り行きによっては、ソ連やイギリスとの関係も微妙に変化する。タイや中国も情況によっては厳しい存在となる。このゲームの中では、実際に起きた戦史は参考程度にとどめておく方が良さそうである。

 しばらくプレイを続けているうちに、妙な感覚に気づいた。作戦を指示する方としては、結果がすべてに見える。しかし作戦というのは、綿密な算盤尽くで行うものである。結果を予測したうえで万全の体制のもとに遂行しなければならない。失敗はあらゆる部分に影響を与える。政局、財政、技術開発、兵力、士気など。間違っても失敗を覚悟でやるものではない。
 だが私の行動は、徐々に鉄砲玉のようにして玉がなくなるまで打ち続けるような、非合理的な手段に陥っていた。かの日本海軍の海軍要項にあった「大艦巨砲主義」「艦隊決戦主義」を貫きながら、一方では兵力を小出しにするようなまるで矛盾した見当違いな作戦に没頭したのである。

 軍部の戦局判断の無知蒙昧が、いくつもの陥穽を生み、なおかつそれに気づかず、あるいは黙殺して、
「一億玉砕、精神力で米英を駆逐す…」
 といった得体の知れぬ大和魂の横行に似たような傾向が、このシミュレートの場においても突起したわけで、私の体内にも、この得体の知れぬ生物が眠っているのを発見し唖然としないわけにはいかなかった。それはつまり、「私は日本人である」ということであり、日本民族の血を脈々と受け継いだ人間に偽りはないということを証明してしまったのだ。

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 途中そうした自分自身の矮小な作戦にはっとなって、作戦の様相を合理的な方向に変えた。―戦局は見事に変わった。
 私はこのシミュレートにおいて、先に述べた視点の意をもう一度唱えなければならないだろう。国土だとか国力、兵力というものの形、大きさだけで物事を判断するには不十分であり、本質を見据えるということは即ち、「心・技・体」の理念を持つということと同義である。一つの視点から多くを見ることはこれに反するのだ。そうではなく、多くの視点から、一つを見る知恵こそが、本質を真理に近い形で浮き彫りにさせる唯一の手段なのである。
 とすれば、あの当時日本が、たとえアメリカと同じ国力・兵力を持ち合わせていたとしても、対峙するアメリカの合理主義に基づいた戦争戦略の前には、やはり屈伏するしかなく、広島・長崎の原爆投下は必然だったという結論を導き出してしまう。得てしてあれは、傲慢な態度をとり続けるものに対する、究極の兵器ではなかったかとさえ思えてならない。
 がしかし、歴史が如実に物語ってきた――ある種の芳香――を嗅ぎ続けた我々人間には、歴史の示す局面に対して、絶対的合理など掴み取ることはできないだろう。何故なら、戦争は、最終的な結実を永久にもたらさないからである。今もって太平洋戦争が終わっていないことを、現実が我々に挑発している。

〈了〉
(1993-1999)