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〈3〉学生必携の中身
学生必携は目次頁の前に以下の項を挟む。
◆学生必携および身分証明書所持注意
(本文略)
◆教育の基本方針
本校は建学の精神と教育基本法の主旨に基づき、電子・電算・芸術・デザイン写真の各産業文化に寄与する優れた技術者の養成と、良識ある社会人としての人格の陶冶と、国際社会に貢献できる広い視野をもつ若人の育成をめざし、幅広い教育を行っている。
従って、本校では学園が常に勉学の場であることを認識せしめ、集団生活を通じて秩序の維持、協調性、積極性、創意工夫、質実剛健と社会奉仕の気風を培うため、各課程に応じた次の指導を行う。
1.工業課程・芸術課程
職場において即戦力として役立つ技術・技能を身につけると共に、高度情報化社会に対応できる柔軟な思考と、指導者として活動できる能力開発と人物の養成・指導を行う。
2.デザイン写真課程
社会が要請する実際的な仕事のできるデザイナー、建築家、アニメーター、カメラマンの養成と教養ある社会人を育成指導する。
◆千代田学園のあゆみ
(本文略)
目次頁以降は以下に沿う。(いずれも本文略)
- 学則
- 学生規定
- 学生心得
- 火災予防等の心得
- 大規模地震警戒宣言発令時の心得
- 緊急時の行動心得(避難心得)
- 就職指導紹介規程
- 学生寮について
- 校友会について
- 学生規程第5条(服装)別表
- 学生生活ガイド
大きな地図で見る
私が欲していた情報は、学生生活ガイドの中の「1.校舎、教室と設備」「3.授業時間帯」にあった。
校舎の見取り図は見開き2枚にわたっており、それぞれ4号館と5号館、1号館と3号館と6号館となっている。
校舎を知っている者が見れば、ああ、なるほどなとわかるのだが、初めてこの見取り図を見ても、すぐには理解できないかもしれない。4号館と5号館を見てみよう。
5号館の1階に「ロビー受付」がある。JR線路側の通りから学校の玄関を入るとこのロビーに当たる。すなわちこの5号館の舎壁に大きな時計が模していたのであって、これを本館と見立ててもらってかまわない。ロビーの奥に階段とエレベーターがあり、さらには隣棟の4号館と連結されている。3階が食堂、及び学生ホール、売店(購買部)となっている。
校舎のあった台東区上野下谷1丁目は、三方の通りに囲まれた三角州のような界隈である。この三角州の最も南の鋭角に先に述べた喫茶店があり、最も北に上野郵便局がある。
5号館及び4号館のすぐ北にはカトリック上野教会がある。この東側に1号館があった。この1号館は主にデザイン写真課程が利用するテリトリーで、唯一、入学前の予備集会の時に利用したことがあった。13階建ての5号館と比べると一回り小さい校舎である。先の5号館及び4号館の学生通用口(三角州の東側の通りから出入り)からほんのわずか北に歩けば、1号館の玄関があった。
6号館は、カトリック上野教会と上野郵便局に挟まれた所にあった。この棟の7階と8階がレコーディングスタジオになっていたため、ここはよく出入りした。1階から3階あたりまでOA機器の教室となっており、ガラス張りの教室をよく覗いたりもした。演劇・ミュージカル科の実習生がよくたむろしていたのは、この6号館の8階7階あたりであった。
さて、3号館についてはよく知らない。出入りしたことがない。むしろ私にとっては謎の場所、校舎である。記憶が確かならば、おそらく3号館はJR線路の向こう側、すなわち上野公園16番地の寛永寺見明院のあたりにあった(5号館の教室の窓から見えたはず)。しかし小さな棟で、どの専門課程のテリトリーかわからない。推測するに、より大きなハードウェアなどを所有した工業系の専門課程で使用したのではないかと思われる。
私の学生必携に書き記してあった「時間割表」は私の自筆である。
誠に汚い字で読みづらいが、2年次の時間割表であると推測する(断言できないのは、ある定期テストの日程表メモの可能性も捨てきれないからだ)。赤い字で書いてあるのは聴講する教室の番号で、5113は5号館の11階、581は5号館の8階のことである。授業時間帯は、芸術課程では90分授業と50分授業と2種類あって、科目によって時間帯が異なっている。「スタジオ実習」は6号館のレコーディングスタジオで行われた。この実習時には必ず学校のネーム入りのジャンパーを着衣しなければならず、靴も履き替えなければならない。“スタジオ入り”に対するルールとマナーを徹底すると共に、そこに立ち入る(仕事をする)厳粛性を重んじた例であろう。
同じ芸術課程の生徒なら、見覚えのある生徒らとよく遭遇する。同じ教室で聴講することもあった。放送スタジオのある4号館は主に放送芸術科の連中がいて、5号館は音響芸術科がよく使っていた。従って、違うテリトリーの専門課程の生徒らとは競合しないし接点がない(サークル活動をしない限り)。だがそうした中で、ある年代に絞られた生徒らがこれらの校舎を行き来していると、やはり全体としての、目に見えない校風のようなものがあることを感じる。例えば上野駅に居る若者を見て、あの若者はうちの生徒だなとか、どこどこの課程だなとなんとなくわかる。同じ入谷口を歩いていれば、ほぼ確実に同じ千代田の生徒であった。誤解を恐れずに言えば、それが入谷付近の学生らによる“住民としての”日常風景であったのだ。
〈了〉
(2010.09.23)

